C57-180の保存と復活

最終更新日:2012年6月1日

磐越西線のすぐ脇にある新津第一小学校の前庭には、平成10年3月までC57蒸気機関車180号機が静態保存されていました。このSLがここに保存されるまでの経緯と復活するまでをご紹介しましょう。

SLが新津に残されることになったわけ

 昭和44年8月25日、暑い盛りのころでした。新津機関区の外勤機関士室の一室で、SLの取材に来ていた新潟日報・小川新津支局長と大野機関士が、今や消えゆこうとする蒸気機関車の話に花を咲かせていた時のことです。
 「いっそのこと鉄道のまち新津市として一台もらうことはできないものか・・・」と大野機関士が思いつくまま、すぐ近くにいる資材庫の加藤助役に相談を持ちかけたところ、とにかく区長に頼んでみようということになりました。翌26日この事を耳に入れた渡部機関区長が早速新潟支社総務部に打診したところ何とか期待に応えられそうだとの返事があり、新津にSLを保存する話が動き始めました。幸運といえばそれまでのことですが、昔から鉄道ゆかりの町という諸々の好条件に合致するものがあったことも事実のようです。
 27日、桂新津市長が新津機関区で渡部機関区長を通して正式にこの案件の申し入れをして、そのおよそ1か月後の9月26日、中村支社長と桂新津市長との間で、C57-180号貸渡しの調印がなされました。

どうやって保存場所に運んだのか

 SLを保存すると決まったものの、解体し、大型トレーラーで輸送し、再び元のように組み立てるには、多大な費用と大勢の人手を必要とするので、新津市当局としては、必ずしも無条件では喜べませんでした。
 そこで、保存を実現させるために機関車を自ら校庭まで運転してはどうかということになり、磐越西線引き込み線から校庭まで新しく線路を敷設して運転が可能かどうか、機関車と線路の両方からそれぞれ検討が進められました。
 何しろ機関車の長さは20mもあり、小さいカーブでは通れず、最小半径160m以上でなければならないことと、磐越西線入換線の末端から延長したのでは、ますますカーブが小さくなるということで、線路の末端から約50m手前あたりで線路を分岐させることになりました。
 排水溝や田んぼをまたぐ所は枕木でサンドルを組み、校庭には砂を入れて長さ約250mの線路が敷設されましたが、立地条件などのため実際には半径約150mのカーブとなってしまいました。なお、線路の幅は標準で1,067mmとなっていますが、それよりも25mm広くしてカーブを通りやすいようにされました。
 機関車についても、エンジン(機関車本体)とテンダー(炭水車)の間に大小4個のバネが入っていますが、その圧力は約6トンもあるため、小さいカーブではテンダーのような軽い車両は浮き上がって脱線する恐れがあるのでこのバネは全部取り外されました。
 その他、急カーブを通りやすいようにいろいろ手が加えられました。もし、途中で脱線でもしたら最後、復旧が不可能に近い結果になりかねないので関係者は大変苦労したとのことです。

最後の花道を自走する

 C57-180号の安住の地となる新津第一小学校の校庭まで、あらかじめ磐越西線の引き込み線から線路延長の敷設作業が保線関係者の手によって完成しました。これは終業式(同機の引退を記念し昭和44年9月30日に行われた)があってから間もなくのことでしたが、このレールの上を大野愛二機関士がハンドルを握り名残の汽笛を吹きながら、最徐行で到着すると、待ちかまえていた作業員たちの手によって校庭の一隅にしっかりと固定されたのです。10月12日午前11時それは秋晴れの日曜日のことでした。
 この時、桂新津市長と赤津新津運輸区長(支社長代理)の手によりテープカットが行われ、C57-180号は最後の汽笛を一段高く吹鳴し勢いよく白煙を吹き上げると、クス玉が割れ辺りいっぱい盛んな拍手がわきおこりました。神事などが行われた後、桂市長は「これは新津市のシンボル、末永く保存していきたい・・・」と喜びの挨拶でしめくくるのでした。

復活に向けて

 時は流れ、鉄道のシンボルともいえるSLたちが姿を消し、上越新幹線の開通で新津を通る在来線特急列車が大幅に減りました。人や物の流れが鉄道から自動車へとシフトしていき、寂しくなった新津駅には「鉄道の要衝の栄光は過去のもの」というような雰囲気さえ感じられます。
 しかし、平成2年4月に羽越本線新津~坂町間に「SLうるおいの新潟号」が、また平成8年からの3年間、磐越西線新津~津川間に「SLえちご阿賀野号」がそれぞれイベント運行されるようになると、さびれかけた「鉄道のまち」に活気がよみがえってきました。また、平成6年には市内にある新津車両所がJR東日本新津車両製作所に生まれ変わり、今までの修繕業務から新型車両の自社生産を始めるようになると、「鉄道のまち新津は過去のものではない」という意識の高まりとともに、市内外の多くの人々から「新津第一小学校に保存中のSL・C57-180号の復活ができないのか?」という声が強くあがってきました。
 やがて、新津では平成9年8月に「SL・C57-180号を走らせる会」が結成されました。
 そして、平成10年3月、JR東日本新潟支社では旧国鉄が新津市に無償貸与していたC57-180号を、約1年と約2億円の費用をかけて復活させることを決めました。
 平成10年3月6日、長年に渡ってC57-180号の保存に愛情を注いできた「新津市蒸気機関車保存協力会」のみなさんの手で最後の清掃がされた後、復元セレモニーが行われ、翌週から復元修理のためJR大宮工場への搬出作業が始まり、母校に別れを告げました。
 復元修理中の平成10年9月1日、磐越西線沿線にある新潟・福島県の自治体・商工団体などがSL定期運行の協力体制づくり、沿線地域の活性化と観光発展を連携して進めるために「外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。磐越西線SL定期運行推進協議会(外部サイト)」を設立しました。
 そして平成11年3月に復元修理が完了し、平成11年4月4日新津運輸区で一般公開されて、平成11年4月29日からは磐越西線で定期運行される「SLばんえつ物語号」の先頭に立ち活躍する姿を見ることができるようになりました。

C57-180号の略歴

昭和21年 8月 三菱重工業三原製作所で誕生
昭和21年10月 新潟機関区に配属
昭和38年 4月 新津機関区に配属
昭和44年10月 新津第一小学校前庭で静態保存となる
平成10年 3月 大宮工場で復元修理開始
平成11年 4月 SLばんえつ物語号で復活 

C57-180号のデータ

昭和44年に静態保存時の記録

走行距離

約169万km(地球42周分)

乗務機関士

のべ1万2千人

輸送旅客数

のべ442万人

全長

20,330mm

全幅

2,936mm

全高

3,945mm

動輪直径

1,750mm

重量

115.50t(標準運転整備状態)

車輪配置

2C1(国鉄式)

C57形蒸気機関車とは?

 昭和12年から合計201両作られ、全国各地で活躍した標準的な旅客用蒸気機関車。そのスマートな姿から「貴婦人」と呼ばれ親しまれています。
 昭和54年から1号機(昭和29年~47年まで新津機関区に在籍)が中国地方にあるJR山口線で「SLやまぐち号」として活躍中です。

★印の写真は瀬古龍雄さん撮影。写真を無断で複製・転載することを禁じます。

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