市報にいがた 令和2年4月5日 2716号 5面
最終更新日:2020年4月5日
みなとまち新潟 歴史探訪(32)
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小阿賀野川の歴史と役割
江南区と秋葉区の境を流れる小阿賀野川は、阿賀野川から分流し信濃川へ流れ込む川です。自然の川の特徴がありながら、中世に人工的に掘られたという伝承もあり、その起源には謎が多く残っています。
小阿賀野川は阿賀野川と信濃川をつなぐ水路として活用され、江戸時代には会津領の材木が新潟町に運ばれていました。享保16年(1731年)の松ヶ崎堀割の決壊がきっかけで、小阿賀野川の流路整備が行われました。これは、阿賀野川からの水の流入を増やし、堀割の決壊で減った信濃川や新潟湊の水量増加と、阿賀野川上流と新潟町との間の舟運維持が目的でした。
小阿賀野川は近代以降も、原油や阿賀野川で採取された砂利の運搬に利用されました。大正2年(1913年)、右岸の木津村(江南区)で堤防が決壊し大洪水となった「木津切れ」を機に、阿賀野川水系の改修工事が進みました。小阿賀野川には満願寺閘門(こうもん)と小阿賀樋門(ひもん)が設置され、現在も船の往来や洪水防止に役立っています。
弘化5年(1848年)の沢海・横越付近の絵図(新潟市所蔵)
小阿賀野川と砂利舟の基地(秋葉区荻島付近、平成6年)
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