市報にいがた 令和2年9月6日 2726号 5面
最終更新日:2020年9月6日
みなとまち新潟 歴史探訪(37)
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新潟島の誕生 ~関屋分水路の通水
昭和47年(1972年)年8月10日、新潟大堰(おおぜき)のゲートが開き、信濃川からの水が日本海に注がれ、関屋分水路が通水しました。
工事予定地に居住していた693戸の旧新潟競馬場跡地(現中央区信濃町・文京町)への移転、長さ約2,600メートル・幅約240メートルから290メートルの分水路の開削、新潟大堰と信濃川水門の建設、5つの橋の架橋工事などからなる関屋分水路事業は、着工からわずか4年9カ月という短期間で成し遂げられました。この大工事の成功の陰には、住居移転を余儀なくされた人々をはじめとする市民の理解と協力、そして事業完遂に向けた関係者の並々ならぬ熱意と努力がありました。
関屋分水路は通水以来、新潟市中心部を洪水被害から守るだけでなく、新潟港へ流入する土砂を減らして港湾機能の強化を図ったり、分水路から流れ出る土砂により海岸の決壊を防いだりと、多くの役割を果たしています。
関屋分水路の通水によって水都新潟の中心部は海と川と水路に囲まれ、市民から「新潟島」と呼ばれるようになりました。
通水直前の関屋分水路(信濃川下流河川事務所蔵)
現在の関屋分水路と新潟島(同)
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