市報にいがた 令和2年10月4日 2728号 5面
最終更新日:2020年10月4日
みなとまち新潟 歴史探訪(38)
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渟足柵(ぬたりのき)はどこに? ~深まる古代史の謎
『日本書紀』に、「大化3年(647年) 渟足柵を造りて柵戸(きのへ)を置く」という記述があります。当時、中央政権に属さない北方の人々を「蝦夷(えみし)」と呼び、彼らの地に支配を広げるため、城柵を構えて兵士を兼ねた開拓民(柵戸)を置いたと考えられています。これは城柵について最古の、また歴史上で初めての新潟に関わる記述ですが、渟足柵の位置を示す遺跡が発見されていないため、その存在そのものが疑問視されてきました。
一方、平成2年(1990年)、八幡林(はちまんばやし)遺跡(長岡市和島地域)の調査で「沼垂城」「養老」と書かれた木簡が出土し、養老年間(717年から724年)に渟足柵が沼垂城と名前を変えて存在した可能性が出てきました。
では、渟足柵(沼垂城)はどこにあったのでしょう。物資輸送の面から港に近い所だと考えられ、かつて沼垂町があったとされる阿賀野川の旧河口右岸に近い王瀬や河渡(東区)付近の砂丘地が有力視されています。
しかし、いまだ遺跡は見つかっておらず、謎はますます深まるばかりです。
(写真左)八幡林遺跡出土の木簡・(写真右)渟足柵の推定地周辺 大正3年版地形図を縮小
(『新潟市史』通史編1 原始 古代 中世 近世(上)より)
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