市報にいがた 令和2年12月6日 2732号 5面
最終更新日:2020年12月6日
みなとまち新潟 歴史探訪(40)
問い合わせ 歴史文化課 電話:025-385-4290
江戸時代の新潟の宴会と芸妓(げいぎ)文化
右の絵は、天保2年(1831年)に新潟町を訪れた江戸の絵師・長谷川雪旦(せったん)が描いた旅籠(はたご)海老屋の宴席の様子です。床の間には良寛と交流のあった亀田鵬斎(ぼうさい)の山水画、かもいの扁額(へんがく)には「幕末の三筆」といわれた巻菱湖(まきりょうこ)の書など、新潟ゆかりの文人の書画が飾られた座敷では、新潟芸妓による音曲と踊りが催されています。宴席の料理は、サケやタイなど新潟ならではの食材を使ったものが主菜でした。
弘化4年(1847年)、江戸の商人・与八は、先祖探しで打越(西蒲区)に立ち寄った後、新潟町を訪れました。古町通の会津屋に宿泊した与八は、8人の芸妓と共に料理と酒を楽しみ、「煌(きら)びやかな衣装、見目麗しく肌がきれいで、唄や囃子(はやし)、踊りも見事な『新潟美人』の芸妓は評判通り」と、その感動を旅日記に記録しています。
江戸時代後期の新潟は越後随一の湊町(みなとまち)として、また全国に知られた芸妓文化憧れの地として旅人をもてなしたのです。
長谷川雪旦『北国一覧写』より
海老屋の料理の復元(みなとぴあ常設展示)
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