市報にいがた 令和元年8月4日 2700号 5面
最終更新日:2019年8月4日
みなとまち新潟 歴史探訪(24)
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牧場が埠頭に、潟が工場地帯に ~臨港埠頭の建設~
山の下みなとタワーの展望展示室から信濃川河口右岸側に目を向けると、眼下に臨港埠頭(ふとう)が見えます。これは、全国的にも珍しい民間企業が建設した埠頭です。100年ほど前のこの場所には、新潟健康舎という牛乳製造販売会社が所有する牧場があり、乳牛が放牧されていました(写真上)。ところが、業務の中心を牧畜業から土地開発や海運業などに転換し、社名を新潟臨港株式会社と改めて埠頭を建設することにしたのです。工事は大正12年(1923年)から昭和6年(1931年)まで行われ(写真下)、石炭や木材などを扱う専門的な荷役設備を備えた臨港埠頭が完成し、同時期に竜が島に建設された県営埠頭と役割を分担しながら、その後の新潟港の発展を支えました。
また、臨港埠頭と信越線を結ぶ臨港鉄道の敷設(ふせつ)も併せて行われました。その際、大山台の砂丘を切り開いて出た土砂を用いて焼島潟(やけじまがた)が埋め立てられました。この土地(現・東区榎町の一部)は工業用地となり、昭和期の本市における工業発展の基礎となりました。
臨港埠頭建設前の牧場の様子(大正時代前期)
建設中の臨港埠頭(大正時代後期)
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