2 前庭
最終更新日:2020年2月14日
前庭
表門(巽風門)と主屋の間には前庭が広がっています。表門から玄関まではまっすぐに通路がのびています。途中で分岐し、3つの入口へ到ります。屋敷に向かって左側の玄関(大玄関)からは藩主、中央の寄付からは主人や代官、右側の土間からは家族や一般の雇い人などが出入りしました。
前庭から見る大玄関
玄関は切妻起くり破風で、大きな鬼瓦の中央に武田菱の紋章を打ち出してあります。笹川家は甲斐武田家の一族とされています。間口18尺(5.4メートル)、棟高22尺(6.6メートル)あります。手前には8寸2分角(29センチ角)の柱2本を独立させ、威厳のある構えとしています。また、破風の拝みの下には「三花」の懸魚が付いています。これは二条城二の丸御殿にも用いられている懸魚です。
寄付脇の濯場
寄付の間の北側には約一坪の濯場があります。内部には腰掛と明かりとりがあり、床は石張りで水勾配がついています。庄屋たちは、ここで手足を濯いでから寄付に上がったと考えられます。北塀近くの井戸から水を汲み、運んで使いました。
濯場の天井に積まれた桶
濯場の天井の上に、桶が整然と積まれています。この桶は、内側に把手がついており、火災のときに水を入れて持ち運び、消火用として使われていました。
寄付脇の格子に吊り下げてある銅鑼
来訪者がたたいて音を鳴らし、家の人を呼ぶために使われていました。昭和42年頃までは直径50センチメートル程のこの大きな銅鑼が使われていました。
北塀と井戸
下男部屋の間仕切りを延長する形で、前庭の北に屋根付きの塀がつくられています。さらに下屋庇がついているので、雨の時でも濡れずに井戸まで行き来できます。また、壁面の裏には外便所があり、その目隠しにもなっています。井戸は凸形と凹形の側石を組接ぎとした、受け組井戸です。北塀の側が正面になります。
軒先の鼻桁と桟梁(船がい造)
軒先は深く庇柱から4尺6寸(138センチメートル)出ています。雪の重みに耐えるために垂木を鼻桁で支え、さらに鼻桁を桟梁で支えています。この桟梁は内側の柱までつながっており、庇柱を支点にして軒の重みをささえています。この鼻桁と桟梁の組み方を船がい造といいます。組頭より上層の人の住宅にしか許されませんでした。